いってらっしゃい

帰るところがないのはさみしい。
行くところがないのはむなしい。



恵まれた国の子どもは
生まれた時からずっと
行くところをたっぷり与えられている。

たとえば日本には
法律に従って学校に行かされている間に
ニンゲンとして重要な時期が
自動的に過ぎ去るようなシステムがある。
さらに多くの人は
成人前後になるまで学校に行くことができ
そのまま職場という行き先を手に入れる。
ある程度の年齢以降は
行くところを自分で選択することができる。
行くところを作ることもできる。
行かない選択さえできる。

そんなふうに常に足りていると
“行くところ”は空気と同じでありがたみがない。
むしろ行くことに飽きたり
行くのが嫌になったりする。
私などは行きたくないところがたくさんあるが
おそらくこれはかなり贅沢なことだ。

行きたくなくても行かなくてはならない場合は
帰るところが大事になってくる。
「帰るところがあるからこそ行ける」
みたいな言い方もする。
帰るところがあると思うだけでも
心身ともにエネルギー補給ができる。

では帰るところが確保されていれば
心穏やかに暮らせるかというとそうでもない。

たとえば本人の意思に反して“行けなく”なったとき。
行くところとのつながりが切れたと感じると
人はものすごい重圧を感じ
どうしようもないむなしさに呆然とする。
たとえ帰るところがあったとしても
簡単には救われない。

また、つながりは残っていても
行くところを失うことがある。
時間の経過とともに
行っていたはずの場所が
いつのまにか帰るところに変化してしまったときだ。
帰るところ間の往復はやっぱりむなしい。

“行く”は“帰る”よりずっと厳しい。
怖い。
でも、だからこそ“行く”ことに意味がある。
“行く”にまつわる判断や覚悟や現実を
自分でどうにかできるようになって初めて
“帰る”ことの大切さを知り
人はオトナになるのだろう。

行くところと帰るところ。
“いってらっしゃい”とはよく言ったものだ。
どっちかだけじゃぁダメなんだよな。
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by emi_blog | 2010-02-19 14:44 | その他  

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