せい

“XXのせい”について
考え中。



先日のカウンセリング
「事故が起きたことについて
『運が悪かった』とか
『天気が悪かった』というふうには思わない?」
と聞かれた。

ハッピーなことが起きて
「運がよかった」「天気に恵まれた」というのはわかる。
でも今回みたいなことを自分以外のせいにするのは
とても難しい。

カウンセラーは
「念のため確認するけど
あなたに過失がなかったのはわかってる?」と聞いた。
うん、事故そのものについては
私のせいではなかったと思う。

ただし、間接的には私のせいだ。
冬休みに受けたショックが尾を引いて、
などと言えば聞こえはいいが
本当はそうじゃないことを自分は知っている。
ショックを受けたことにいつまでも甘えて
いろんなことをサボっていた。
事故はそのせいで起きた。

「Punishment(バツ)を受けた、みたいなこと?」。
イメージとしては近いかもしれない。
だが大惨事を免れているのだから
これはWarning(警告)かな。

自分以外の何かや誰かの“せい”で
不幸が起きるのだとすれば
その何かや誰かが存在しさえしなければ
不幸は起きないことになってしまう。

つまづいた石に向かって
「なんでこんなとこに転がってんだ」と騒ぎ立てる。
万年2位の人が
「あいつさえいなければ」と悔しがる。
浮気が発覚したとき
当事者である恋人や配偶者とあわせて
“させた”相手が恨みを買うのも
これに似た感情だろうか。
そういう考え方があるのは知っているけれど
正直なところ、理解はできていない。

たとえばあの日、天気がよくても
たとえばあの時、私がそこを通らなくても
たとえばあのトラックや運転手がこの世にいなくても
きっと私の身に“何か”は起きていた。
それがたまたま事故だっただけだ。

自分以外のせいにした方がいいことが
時にはあるのかな。
だとしても、できそうにない。
もしそれしか救う方法がないのなら
救われなくてもいいや、と思っちゃうなぁ。
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by emi_blog | 2010-03-11 23:19 | その他 | Comments(0)  

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