拾わない力

情報があふれる中で
それを咀嚼することにも限界がある
と書いた。



今後、手に入る情報が減ることは考えにくい。
とはいえ人間の処理能力は急激には上がらない。
追いつかないものを追い続けて良いことは多くない。
情報社会で自分の身を守るには
要らない情報を拾わない力が必要ではないかと思う。

外国語を例に説明を試みる。

語学が大好きで
外国語を見聞きするだけでテンションが上がるような人は
ピンと来ないかもしれないが
ある程度使えるようになった外国語での生活というのは
他人が思うより骨が折れる。
「最初は辛くてもすぐに楽しくなる」
「言語レベルが上がれば楽になる」というのは
部分的には本当かもしれないが
観察としてはやや底が浅いと思う。

私がまだ外国に住んだこともなかった頃のこと。
日本で同僚のカナダ人Pと
横断歩道で信号待ちをしていたとき
Pがガードレールを凝視しているのに気づいた。

当時のPはすでに日本語を上手に話せていたが
読み書きはいまいちで
日本語能力検定の何級かを取るために勉強中だった。
横断歩道でPが凝視していたのは
ガードレールに貼られた金融系の広告だったのだけど
Pがそれを“自分には関係ない情報だ”と判断する前に
信号が変わってしまった。

ネイティブの私がチラっと見ただけで
「必要なし」と判断できる情報を
Pは意味を考えながら一文字ずつ丁寧に読み込んで
ぜんぶ読み終わってからやっと
「あぁ、読まなくてもよかったんだ」と気づくのだと
初めて知った瞬間だった。
Pは「家に届くチラシや郵便物も
捨てていいものと大事なものとを区別するのに
すごく時間がかかる」と言っていた。

語学の範疇なら
読めないもの=刺激、だし
時間がかかっても読めた=喜び、かもしれないけど
生活となるとそうはいかない。

私はアメリカに来た当初から
日常生活に困らない程度の英語はできたし
現在はその頃よりいくらか進歩しただろうと思うけど
日本語でそうするように
チラ見・チラ聞きだけで取捨選択することはできない。
初見・初聴の情報はいったん取り込んだうえで
「なーんだ」と思って捨てたりする。
あのときPがやっていたのと同じだ。

母国語ではその“ひと手間”が要らない。
ガイジンを長くやっている人が
母国語を聞いてほっとするのは
郷愁だけが理由ではないと思う。

新しい情報は目から耳から
ひっきりなしに入ってくる。
それは母国語でも同じなのだけど
外国語だとどうしても意識的にキャッチすることになる。
そのたびにいちいちピッと緊張して
しかもいくつかは徒労に終わるのだから
エネルギーの消耗はハンパじゃない。

そこで助けになるのは慣れと学習効果だ。

一度目は熟読・熟聴したとしても
二度目以降ともなれば
同じパターンのものへの反応は早くなる。
気を抜いてもいい対象がわかるようになって
緊張と緩和のメリハリがつく。
聞き流し・飛ばし読みで節約したエネルギーを
必要な情報をキャッチする方に回せる。
嗅覚が鋭くなる、アンテナの性能が上がる、というのは
そういうことだろう。

で、話を情報社会に戻す。
押し寄せる情報量に慣れないうちは
どうしても要らない情報をキャッチしてしまい
無駄にエネルギーを奪われやすい。
物珍しさから何にでも食いつく時期はなるべく短く切り上げ
“拾わない”を心がけていかないと
自分で集めた情報の山に圧倒されてしまうばかりか
本当に必要な情報を探す力がつかない。

…ということが言いたかったのだけど
書いてみたら結局言語のことになっちゃったな。
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by emi_blog | 2010-05-01 02:35 | 英語  

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