誤解

誤解って実在するのかな。
誤解しないなんてこと、できるかな。



たとえば私のことを誰かが評価する。
厳しい・優しい・冷たい・温かい・真面目・不真面目・
変人・凡人・おもしろい・つまらない etc.etc.
あらゆる対極とその中間。

その中に誤解はあるか?と考える。
ない、と思う。
誤解と理解の違いってなんだっけ?

たとえば「こう思われたい」という特定の願望がある人は
「そうは思われたくない」という不本意な評価を
“誤解”と呼ぶらしい。
「それは誤解だ!」と叫んで誰かの口を塞ぎ
自分の耳に入らないようにしたとしても
“誤解”は消えるわけではない。
誤解しているのは自分のほうかもしれないしね。

私が人やモノを自由に誤解できるように
誰かも私を自由に誤解する。
そういえばこの世は誤解だらけだ。
多数決なら誤解は真実になる。
混乱や面倒を招いてでも
正さなければならない誤解はあるのかもしれないが
裁判沙汰でもない限り、そう多くはない気がする。

誤解するためには
なにがしかの興味を持って
わざわざ手間をかけて判断を下すわけで。
私について誤解をしてくれる人がいるのだとしたら
それだけでもかなりありがたいことだと思う。
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by emi_blog | 2010-08-06 04:09 | その他  

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