Solitude

“井の中にいる”という自覚について。



「自分は他の人たちと別の世界にいる」というのは
意外と捉えにくい概念らしい。

たとえば学者は
世の中の多くの人が学者じゃないという
あったりまえなことをつい忘れがち。
自分の専門分野について
自分と同じように興奮できる人は少ないし
マニアックな話は大勢を置いてけぼりにするのに
なかなかそのことに気づけない。

医者は病院に縁のない人のことを想像しにくい。
先生は学校嫌いの子どもの気持ちを理解しにくい。
金持ちは貧乏人の苦労に共感できないし
貧乏人は金持ちの苦労を苦労とも認めない。
親は子どものことをわかったようなつもりでいるが
子どもの支持を得られない。
せっかちものんびりも我儘も簡単には治らない。

「私はこういう経験をしたからあなたもするでしょう」
「私はこう思うからあなたもそう思うでしょう」
「私はこうして成功したからあなたもするといい」

…そんなわけないじゃん?

自分以外の人の目で世界を見ることはできない。
たとえ同じ場所で同じものを見ていても
すぐ隣にいる人が実際に何を見ているのか
知ることはできない。
私が何を見ているのかは私以外の人にはわからない。
自分でだっていつもわかっているとは限らない。

人はみんな定員1名の井の中に暮らす。
血や星や人種や性別でタイプ分けなんてして
一時的な安心を得たって無駄だよ。
誰でも、一人残らず、全員、もれなく
圧倒的な孤独の中にいるのだから。

好むと好まざるとに関わらず
みんなそれぞれに違う。
自覚のあるなしに関わらず
みんなそれぞれにヘン。
“個性”だなんて大げさに打ち出す必要などない。
普通は幻。

だからこそ別の世界にいる他人に興味が湧く。
何を見てどう考えどんな行動をするのか聞いてみたくなる。
バラッバラな人が集まるから生まれるものがある。
その出会いの中でごくごく稀に
ぴったり感覚が合うという奇跡が起きる。
それ以上は望まない。

孤独はさみしいことじゃあないんだけどな。
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by emi_blog | 2010-10-25 02:12 | その他  

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