不等価交換

女子サッカーワールドカップ優勝の
ニュースを見ていて気になったこと。



ワールドカップ決勝をニューヨークで見るアメリカ人たち。
彼らの頭には「勝ち」しかない。
相手チームに得点されれば、思いっきり悔しがり
その悔しさで彼らはさらに燃え上がる。
日本式のカミダノミはアメリカには存在しないけれど
もしあったとしても彼らには必要ない。
常に「自分たちは勝つ/成功する」と思っていなければ
立っていることもできない。
それがアメリカ人なのだから。

同じ試合を各地で観戦する日本人たち。
みんな「負け」を意識した顔だった。
試合が進むにつれ、不安で泣き出しそうだった。
PKの間じゅう、祈りをささげていた。
結果が間に合っていない朝刊のテレビ欄には
「よく頑張った」「感動をありがとう」と
負けたとしても番組が成立するようなタイトルが並んでいた。

日本式の応援には必ず「負け」の意識がある。
常に失敗や破綻や絶望や喪失に備えている。
それが日本の文化なのだ。

外国文化を盲目的に崇敬する癖が抜けない日本人には
なかなかわかってもらえないが
文化の違いは優劣ではない。
アメリカ式の『前向き』にも日本式の『後ろ向き』にも
良いところと悪いところが平等にある。

「失敗を想定しながらも逃げずにやり遂げる」などというのは
『後ろ向き』にしかできない芸当。
諸外国から理解されにくい、日本独特の不気味な強さだ。
日本のような小さな国が大きく発展できたのは
『前向き』の軽薄な誘いに乗らず『後ろ向き』を貫いてきたからこそ。

にもかかわらず最近の日本人は
『前向き』に転換することばかり考えている。
それって、どうなの?

確かに今回優勝した女子サッカーの選手たちは
「最後まであきらめない」「必ず勝つ/成功する」と信じ
それを支えに前へ進んできたのだろう。
たとえその勝利や成功が架空のものであっても
科学的根拠のない奇跡や魔法であっても
彼女たちの“確信”は決して揺るがなかったと思う。
そして、勝った。

だからって「やっぱり前向きでいかなくちゃ」というのは
あまりにも短絡的だ。
彼女たちのような一流と、我々は違う。

スポーツ選手に限らず一流の人というのは
能力の高さや運の良さに加えて
強靭な精神力を持っている。
特に国際的な舞台で活躍する人たちは
宗教的・哲学的視野を広げる機会にも
外国の教育に触れる機会にも恵まれている。

不安や心配がつきまとう日本文化の中で育ちながら
『前向き』を獲得するのは簡単なことではない。
一流の人というのは、あらゆる面で能力が高く
勝利/成功への執念が強く、そのための努力を惜しまないので
テクニックとして『前向き』を身につけてしまうのかもしれない。

私たち普通の日本人にそれはできない。
だからこそ、決勝戦を前に「負け」の準備をし
悪い予感に押しつぶされそうになりながら
祈りをささげるのだ。
それが私たち日本人の自然な反応なのだ。

日本の国技で「勝ち」の意識を露にしすぎた選手は
力士と認められず国外へ追放された。
それは美学うんぬんというよりも
日本人の普通の感覚にそぐわなかったためだと思う。
別のスポーツでも『前向き』な選手を“ビッグマウス”と揶揄する。
日本人は『前向き』に出会うと
あくまでも自然に嫌悪感や拒絶反応を示すのだと思う。

ところが、政治家も実業家もタレントも、欧米型のスポーツ選手も
目立つ人たちはみんな『前向き』を売りにしている。
教育の場でもいつのまにか『前向き』は理想になってしまった。
何か、おかしくない?

私は、私を含む“普通の日本人”が
『後ろ向き』を捨てて無理やり『前向き』にさせられるのは
とても危険だと思う。

『前向き』にさせられた日本人は
不安や心配などの自然な反応を押し殺さなければならなくなる。
決勝戦を見ながら
「やっぱり負けるんだ」「無理だろうなぁ」
「もうダメだ」「見てられない」などと言おうものなら
周囲の人たちが憲兵と化して
「何を言うか」「我々は勝つのだ」と取り締まるようになる。
自然に起きる感情を否定されて『前向き』に育つ子どもたちが
精神的な健康を保てるとは思えない。

日本人は『前向き』の裏側をもっと知る必要がある。
『後ろ向き』を排除すれば誰が得するのか、よく考えたほうがいい。
だが、あちらは口が巧く、こちらは目がハートだから
ちっともうまくいかない。
あぁ、イライラする。

しぶしぶ留学を始める原動力となった私のこの苛立ちは
6年経った今も健在らしい。
困ったもんだ。
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by emi_blog | 2011-07-19 03:09 | 文化  

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