携帯電話

携帯電話のこと。
マナーやルールじゃないんだよな。



ニューヨーク・フィルハーモニー・オーケストラの演奏会で
聴衆の携帯電話が演奏の邪魔をし続け
とうとう指揮者が演奏を止めた、というのが
ニュースになっている(参照)。

いろんな読み方ができると思うので
それぞれが判断したらいい。
これを機に会議中や授業中の携帯電話使用禁止を徹底してもいいし
車掌や店員が指揮者に習って取締りを強化してもいい。
演奏会は音を聴く場所だからいけないけど
乗り物やレストランなら問題ないという意見もあるかもしれない。
着信音はまずいけどバイブならOKという人もいるかもしれない。
ホールを電波の届かない仕様に変えるという手もあるかもしれない。

しかし私はマナーやルールではイタチゴッコが始まるだけで
根本的にはどうにもならないと思う。
というか、現状のままでも
携帯のコントロールができない人は恥部を露呈しているのだから
それを自覚させる方がよっぽど効果があるのではないかと思う。

猫も杓子も携帯電話を持ち
所有者のほとんどがそれをオフにすることに強い不安や不満を持つほど
携帯電話に依存している現代において
正しいとか正しくないとかいう基準で
人が行動を変えられるとは思えないのだ。
そんなことができるなら諸々の“携帯問題”は初めから起きていない。

今回の記事で私が興味を引かれたのは指揮者のこの発言。
"It was kind of shocking because you get to a very faraway place
emotionally and spiritually"

私の好きな Cirque du Soleil の公演では開演前に
携帯電話の電源を落とすことと合わせ、写真撮影の禁止が案内される。
特にフラッシュを用いての撮影は「大変危険」と警告される。
彼らのあの息を呑むパフォーマンスを観たことがある人なら
もし途中のどこかで一瞬でも邪魔が入ればどうなるか想像できるだろう。
彼らは「集中し続ける」ということに命を懸けている。

音楽家はサーカス団ほど見た目に明らかではないし
肉体的な危険が迫っているわけではないが
集中力という意味ではおそらくサーカス団と同等の高いレベルを保って
演奏をしている。
命を懸けているといっても決して大げさではないと思う。

音楽もサーカスも
命を懸けて真剣に表現していなければ、人を感動させることはできない。
命を懸けて真剣に仕事をしている人をプロという。

演奏会で平気で携帯電話を鳴らしていられる人は
そこのところがわかっていない。
集中力を欠いた演者が綱から足を滑らせて真っ逆さまに落下することも
車輪がからまって大事故につながることも想像できていない。
自分がその引き金を引いてしまうかもしれないという危機感がない。
命を懸けるほど何かに真剣に取り組んだ経験がないから
わかりようがないのだ。

もしその人がどこかの世界でプロとして仕事をしているなら
ステージ上の演者の真剣さに共感し、敬意を持てるはず。
邪魔をしようなどと思うわけがない。
携帯電話のコントロールの仕方には
その人自身のプロ意識が現れているのだ。

会議の参加者にも授業を受ける学生にも同じことが言える。
携帯を鳴らしたり電話に出るのはもちろんのこと、
たまたま鳴らないにしてもいつでも出られる態勢でいることは
その人が、少なくとも今、目の前にあることに対し
真剣に取り組んでいないことを証明している。
他の真剣な人を邪魔する用意があることを示している。

そこから先はケースバイケースで各々が判断すればいいが
ひょっとしたらこの人は他のことにも集中できないかもしれない、
気が散りやすく、興味が移ろいやすいかもしれない、
他人の真剣さを理解しないかもしれない、
あまり信用のおけない人物かもしれない…
などと思われても仕方のない材料を自ら撒いている可能性がある。

私は誰かが話しているときは
いつでも真剣に敬意を持って聞いているつもりでいる。
私が携帯に気をとられて話を上の空で聞くようになったら
どんどん軽蔑してほしい。
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by emi_blog | 2012-01-13 23:57 | その他 | Comments(0)  

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