読書

本を読むことについて。



ここでももう何度も書いているが
私は読むのが大っ嫌い。
文字があるとつい読んでしまう癖があるので
見出しや箇条書き程度の量の“読み”は苦にならないが、
それと、まとまったページを読むのとはまるで違う。

研究に関わる本や論文は必要不可欠だから読む。
新聞などからの情報は、できたら音声で取り入れたいけど
そうはいかないので仕方なく読む。
どちらも読みたくて読んでいるわけじゃない。
読まなくていいなら読まない。
読む=苦行。

“本の虫”に属する人は、たとえばバカンスに出かけるときも
空港で1冊、機内で1冊、ビーチで1冊、みたいにして
Pleasure readingを楽しむ。
だからKindleみたいな電子書籍ができる。

理解不能。
読み物のある休みなんて、休みにならないじゃん。

今日は文学者の卵であるDを相手に
読み始めるまでの気の重さ、
残りページを数えながら、息も絶え絶えに読み進む辛さや
牛歩なみに遅い自分の読み方への苛立ちなど
私がいかに読むのが嫌いかを説明した。
そして「読めば読むほどおもしろくなる」という彼に対し
「意味がわからない」と悪態をついてきた。

その夜のこと。
ある本を一気読みした。

やわらか系の現代日本語であること、日記風の軽い内容であること、
写真や余白が多いこと、など
普段私が格闘している読み物とは条件がかなり異なるが
それにしても約250ページを3時間ほどで読み切るとは
なかなかの快挙。

“勝因”として考えられるのは
頭も心も使わず、目だけで読めたことじゃないかな。
読みながら、自分の考えを膨らませるでもなく、
意見を持つでもなく、書き手に感情移入することもなく、
耳に入れながらも聴いてはいないBGMのように
ひたすらサラサラとページをめくっていった。
こんな経験は初めてだと思う。
私は美容院で渡されるファッション誌の類でも
ぐったりするほど読み込んでしまうので
文字が中心の本でこんな経験ができるとは
思ってもみなかった。

ほほぅ。
Pleasureとはまた次元が違うんだろうけど
これも読書のうちですかね。

それで気づいたのだが
私は読むことで得られる見返りを強く求めているのだ。
読むという辛い作業を乗り越えるからには
有益な経験や情報を一つでも多く獲得しようとしている。
読んだらタダでは起きないのだ。
だから読みながら線を引き、メモを取り、引用をし、
内容を熟考し、書き手や自分以外の読み手の心理を追う。
意見を固め、疑問を洗い出し、議論の用意をする。
それ以外の目的で“読む”ということをしていないのだ。

意外なところで自分の欲深さに気がついた。
そりゃ、読む速度は上がらないし
読むのが楽しくなったりもしないわけだよ。

…と、納得しかけて、ちょっと待てよ。
私は人と会ったり話したりするときにも
この欲深さを持ち込んでいるような気がする。
線を引いたりメモを取ったり引用したり…以下
比喩的なものを含め、まったく同じことを
人と話すときにもやっていると思う。

で、話すのは大好き。
長時間しゃべっていても一向に疲れない。
熱く深く話し込むのは楽しい。

ということは欲の問題でもないのか。
うーん。
読むのが嫌いな理由がせっかくわかりかけたと思ったのに。
残念。
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by emi_blog | 2012-03-17 05:59 | その他 | Comments(0)  

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