Estimation

ある事柄について
ある組織が情報規制しているかもしれない件。



伝えるということはとても難しいから
伝えるべき情報を選別し、段階的に公表していくということが
有効である場合が多い。
「なんでもかんでも開示するのがよい」という風潮とは裏腹に
受け手の側に、適切に咀嚼するための力が備わっていなければ
情報を開示することがマイナスにしか作用しない場合もある。

しかし、ある特定の組織が独断的に
「この情報を適切に咀嚼するだけの力は、相手にはない」と見積もり
権力を使って情報規制をする場合、
その見積もりが正しいかどうか、慎重に審議する必要がある。

あるいは情報を開示することで
相手側から糾弾されるおそれがあると考えて隠蔽をする場合、
その糾弾は現実的かどうか、
つまり相手側の期待や感情を正しく推量できているかについても
軽率には判断できないはずである。

もしかしたら相手の情報咀嚼力は組織の見積もりをはるかに超え
情報を開示すればきちんと理解できちゃうかもしれない。
また、相手は組織が考えるほどこの事柄について期待しておらず、
糾弾に至るほどの興味を引かないかもしれない。
過去の栄光にしがみついたままの組織が
時代遅れの希望的観測を基に描いた相手像はもうどこにも存在せず
現実の相手は組織が隠蔽しようとしている事柄をとっくにお見通しで
「だと思った」「そりゃそうでしょうよ」と言うだけかもしれない。

そうかもしれないけど
そうじゃないかもしれない。
だから、とりあえず隠しておく。
ま、それが有効だと、あるいはそれしかないと信じて疑わないのなら
仕方がない。

私が納得できないのは、むしろその隠し方。
今日のように国境のない空間が身近に存在し
そこでは堂々と公開されている情報であるならば
それをエリア・言語的に限定して規制したところで
どれほどの意味があるのだろうか。
たとえば紙ベースの日本語による開示を止めたとして
それは隠したことになるのだろうか。
インターネットと英語が使える人はいくらでもいるでしょう?
相手をバカにしすぎじゃないの?
失礼な。

…と思ったのだが
これが案外有効らしい。
特に言語的に制限をかけてさえおけば
その分野の専門家でさえ、手に入る情報はかなり少なくなるとか。
日本語でないというだけで「読まない」「読めない」「取りに行かない」
「読んだけどよくわからない」から、まんまと隠しておけるのだ。
要するに、インターネットと英語が使える人は
組織がごく低く見積もったとおり、ほとんどいないということか。
相手をバカにしていることは事実だけれど
そう見当ハズレでもないということか。

うーむ。
英語教育という観点だけに絞っても
途方に暮れるほど残念なことだな。
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by emi_blog | 2012-04-10 20:15 | 英語 | Comments(0)  

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