ニッポンの子育て

ニッポンの子育ての不思議、について。



満員電車は言うに及ばず
スーパーや券売機の前など、ちょっとした列に並んでも
ニッポンの人は他人との距離が近いなぁと思う。
もう半歩離れてくれると気にしないで済むんだけど
私にとっての“自然な距離”は他の人には“空けすぎ”のようで
私の後ろにあれば詰められてしまうし
前にあれば「空いてますよ」と注意されてしまう。

日本人どうしの会話に相槌やOverlap
(相手が言い終わらないうちにカブって話し始めること)が多いのも
コミュニケーション的に密着している傾向の現われではないかと思う。
心理的、文化的に他人との距離が近い国民なのだろう。

ところがその一方で
ニッポンでは親が子に対してとる距離がとても遠い。
これは空港など、他民族が行き交う場所では非常に目立つ。
アメリカでは小さな子は親が手をつないだり、
リードみたいな紐で子どもの“手綱”を引いていたりすることが多いが
子どもだけが自由に走り回っていて、はるか後方に親がいる場合、
その親子は日本人である可能性が高い。

日本国内ではこれが当たり前のようで
子どもたちはいわば野放しになっている。
子どもたちは幼稚園や学校ではちゃんと整列できるのに、
親と一緒にいるとできない。
子どもたちはレストランでも、車の通る道でも、高級店でも
親の手の届かないところで自由に動くことが許されており
親は遠くから「XXちゃーん、ダメよぉ」と声をかける程度でOK。
親が食事やおしゃべりで忙しければ、子どもは何をしていても
注意さえされない。

手の届くところにいたって「ちょっと目を離した隙」は発生するというのに
とっさに子どもを助けられないほどの距離をわざわざ保つ。
ニッポンでは我が子を危険にさらすのが流行っているのかもしれない。

ベビーシッターや保育所が完備されていないという
社会システム上の問題はあるにせよ、
ニッポンではいまだに子どもだけで留守番をさせたり、
お昼寝の隙に親が出かけたり、車の中に置き去りにしても
なんのお咎めもない。
子どもを守るというのは保育士などプロだけに求める仕事であって
親は免除されているのだろうか。

駐車場や用水路で痛ましい“事故”が相次いでいるが
こうした親子の異常な距離感を日々目の当たりにしていると
それらは“事故”と言い切れるのだろうかと疑問に思う。
ニッポンでは子の命と引き換えに親が守られているようだ。

雑誌の表紙を見ても、TVコマーシャルを見ても
あいかわらず日本人が外国に強い憧れを持っていることがわかる。
ニューヨークのファッションやグルメの最新情報は
すべて日本に集まっているんじゃないかとさえ思う。
それらの情報をつかむことで世界と瞬時につながり、
世界の中に居場所を確立したような錯覚を楽しめるようになっている。

でも、彼らは、たとえば自分たちの子育てがどれほど特殊か知らない。
世界ではおよそ認められない恐ろしいやり方かもしれないと
疑ってもみない。

蛙は大海を知らなくても
井の中で子蛙を育てる術は知っているだろう。
生き物として、それより他に大切なことはないのだから。
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by emi_blog | 2012-06-25 14:24 | 文化 | Comments(0)  

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