徒党

日本で参加した学会での一場面のこと。



Flawlessな研究などありえない。
研究および発表には必ずどこかに
研究者のBias、先入観、都合のよい解釈、不十分な提示など
ツッコミどころが潜んでいる。

だから専門家の集う学会発表という場には実験室のような側面がある。
発表者は自分の発表がどうツッコまれるかテストできるし、
聴衆は不備を指摘し、より良い研究へと導くきっかけを与えることになる。

発表者は補足情報を提供して聴衆を納得させたり
次につながる助言を受け、感謝して円満に収束することもあれば
発表者と質問者の二者間で決定的な見解の違いが浮き彫りとなって
物別れに終わることもある。

研究者というのは批評にさらされるのが仕事なので
そうやって議論しながらお互いに切磋琢磨することこそが
本来あるべき姿だろうと思う。
そのプロセスを経て、自らの考えや手法、知識に磨きをかけ、
テツガクを構築していくのだ。
科学の進歩という共通の大目標があれば
批評することもされることも、貴重な糧になるのである。

その意味では制限時間で強制終了させられて
質疑応答の時間をもれなく持たされる一般発表者のほうが
Plenary lecture(講演)のお偉いセンセイ方よりよっぽど健全。
時間内に収められないような講演はプロの仕事とは思えないし
招待客だからといって話を遮ることを躊躇う主催者もみっともない。
もっとも、そのように未熟な関係性のうえでは
予定どおり質疑応答の時間を設けたところで
口々に賞賛し、講演者をおだてて終わるだけだろうから、
それもまた意味がないのだけど。

前置きが長くなった。
件の“一場面”はお偉いセンセイの講演ではなく一般の発表で起きた。
南半球の大学から来た40代ぐらいの日本人女性の発表者だった。

ひとことで言えば、マズイ発表だった。
いくら研究にはツッコミどころが付き物といっても
それはあくまでも専門家レベルでの話。
この発表はそこに至っておらず
素人でも部外者でも簡単にツッコめるようなものだった。

こういうこと自体は珍しくない。
学会に参加したことがなかった頃は私も
『学会発表』イコール『完成品のお披露目』だと思っていた。
たとえばサイエンス誌に載るような研究成果を
研究者本人が口頭で発表する場なのかと思っていた。
でも実際はそうではなくて、この発表のようにかなり粗い仕事でも
“お披露目”に当たってしまうことがある。
ま、そこから磨き上げて、後々サイエンス誌に載ることもあるかもしれないけど
とりあえず学会発表の時点ではまだその域に達していなくてよいのだ。

こういうマズイ発表が行われると会場の空気が変わる。
聴衆のアンテナがピクンと動き、個々のモヤモヤが集まって
会場全体に暗雲が立ち込めてくる。
恐ろしいことこの上ない。
が、たいてい発表者は緊張しているためか、その恐ろしさに気づかない。
発表の後、質疑応答や聴衆からのコメントでやられることになる。

とはいえ、ここは学会。
ネット上のように雑多な誹謗中傷が許される場ではないので
質問もコメントも、表向きはマイルドに発せられる。
「こうおっしゃいましたが、別の解釈ができると思います」とか
「…という可能性をお考えになったことはありませんか」とか
「次の機会にはここをこうされると良いかと」などとやんわり指摘して
その場はそこまで。
発表者を追い込み、恥をかかせるようなら
質問者は品格を疑われ、主催者も間に入らざるを得なくなるだろう。
どうしても伝えたいことがあれば、休憩中や学会後に個別に伝える。
それが学会における暗黙のルールであり、マナーである。

…と思ってたんだけど。

この発表では中盤から明らかにマズイところがあったのに
“モヤモヤ”はさほど発生していなかった。
すんなり受け入れられているのかな、と思うほどだった。

ところが発表後の質疑応答で、聴衆のうちの一人が
「結論が強引すぎる」と発言した途端に会場がざわつき始めた。
それまで黙って聞いてた聴衆が急に
「そう、私もそう思った」「やっぱりそうですよね」などと
隣同士で確認しはじめたのだ。
ざわざわしたまま発表時間は終了となり、休憩に入った。

私はその突然の変化に驚き、
またその雰囲気をとても気持ち悪く思った。

その発言者は業界では著名な方だったのではないかと思う。
力のある者ならいいというわけではないが
あの言い方は、たとえば私のようなぽっと出の学生にできるものではない。
即座に会場中の賛同を得たというのも、無名の発言者では考えにくい。
影響力のある方ならもっと慎重に言葉を選ぶべきだろうと思うが
お偉いセンセイの中には視野の広くない方もいらっしゃるからね。

大物の鶴の一声。
すかさずその後ろに付いて「そうだそうだ」とやる小物たち。
大物はそれによって文字通り後押しされてますます鼻息を荒くし
小物たちは連帯感や共感、安心感をわかちあい、
それが巨大な圧力となってある特定の人を攻撃する。

確かに問題はあった。
それを指摘するところまではよかった。
しかしそれは小物たちに悪質な徒党を組ませ、
集団で攻撃するという毒気を帯びた快感を目覚めさせた。
自らの毒に目覚めた人たちは、それを正当化するためにも
他人の邪悪な部分がむき出しになることを好む。
自分も悪だが、周りはもっと悪。だから平気。
そして「時間切れ」という、もっとも無意味な口実に頼って
何ひとつ解決しないまま“なんとなく”終わった。

これが長期化すれば大物の言動はエスカレートし
小物たちは安定を崩すことを怖れるから
たとえ攻撃が度を越してもそれを止めることは誰にもできなくなる。
どこかで間違いに気づいたとしても
自らの保身のために、見て見ぬフリをする。
攻撃を受ける者は逃げ場を失い、追い詰められる。

「みんなと同じ」がいちばん安全で安心する。
似ている人を探し、似たもの同士でくっついて
「そうだよねー」「わかるわかる」と言い合うことで心を落ち着ける。
流行の情報を敏感にキャッチし、遅れないように、行き過ぎないように
常に横とのつながりを意識してバランスを保つ。
集団に属してさえいれば、難しいことを考えなくて済む。
声の大きい人の言うことを聞いていれば、とりあえず暮らしていける。
表面的にはいたって平和な日常。

この結果、どんなことが起きているか。
日本人なら知っているだろう。

清く正しい呼びかけをしたり当事者数人を制裁したぐらいで
すんなり収まるような問題ではないのだ。
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by emi_blog | 2012-07-18 00:33 | 文化 | Comments(0)  

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