同情票

もっと困ってる感を前面に押し出して
かわいそうな私を演じればよかったのかもしれない。



今回の帰国はデータ収集だけが目的だったのだが
空振りがほぼ決定した。
滞在を延長し、募集を拡大したが効果はなかった。
土地か大学か、その両方かを選び間違えたらしい。
ま、選んだのは私だから、しょうがない。

各種情報を総合して敗因を列挙することもできるが
意味がないのでしない。
ただ、ちょっと角度の違うヒントをもらったので記しておく。

教育の端くれにいるという自負もあり、
高等教育機関というロケーションもあり、
優秀な若者たちを立派に成熟した大人として扱いたいという希望もあり、
私は彼らの自発的な行動を待つという方法をとった。
過去に同じやり方で集まってもらったという成功体験もあった。
だからひと通り説明をし、参加を促す程度の働きかけまではしても
無理強いをしたり、金銭を含む損得で訴えかけることはしなかった。
それではたとえ数が集まっても、質が伴わないからだ。

ところが、ここでの募集に関してはもう一つ別の手段があったらしい。
いわゆる“涙の訴え”作戦だ。
先生方が学生に向けて発する言葉も、今思えばそのラインだった。
「気の毒だから」「困っているから」「人助けだと思って」というような
背中の押し方を間近で何度も見た。

確かに、人が集まらなければ私の計画は大幅に狂い
さまざまな面に支障をきたす。
私は“かわいそうな人”になる。

目に涙をためて、土下座をして、声を震わせて訴えかければ
いくらかの同情票は入ったかもしれない。
それによって私は目標を達成できたのかもしれない。
私のさっぱりした態度は、若い彼らには重要度の低いお願いに見え、
その結果、「協力しなくてもさほど困らないでしょ」という誤った結論に
彼らを導いてしまったのかもしれない。

そのことに、この期に及ぶまで気がつかなかった。
敗因と言えば敗因には違いない。
でも、もしどこかの段階でその作戦を思いついていたとしても
果たして私は実行していただろうか。
泣き落としで同情票をかき集めようとしただろうか。

たぶん、していないと思う。
私にはそういう、絶望的に世渡り下手なところがある。
私の行く末がどうなろうと、彼らには一切関係がない。
彼らはじゅうぶんに忙しく、彼らなりの優先順位に従って生活している。
私だってそうだ。
それをしれっと棚に上げて、自分の頼みごとだけを押し付けて
彼らの時間を横取りするわけにはいかない。

大人同士の交渉ごととして、対等にアプローチしたうえで
「反応しない」という彼らの自由意思を尊重したと思おうではないか。
私は彼らに対する期待値を下げるつもりはない。

打率4厘で追い詰められていても、
日々じれじれしながら気の休まらない時を過ごしていても、
もう何もかも投げ出したくなるほど嫌になっていても、
それを人前で出さずにいられたのだとすれば
むしろよかったと思う。

しょうがない。
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by emi_blog | 2012-12-04 02:25 | 研究 | Comments(0)  

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