大人の役割

新しい時代の大人の役割について。



たとえば入学試験というものは
「これに通るぐらいの学力がないと
うちの学校に入っても、ついていけないよ」という目安を
子どもに示すために大人が作った。

入口で審査をしておけば、
「入ったはいいが、苦しい」「入れたはいいが、邪魔」という
双方にとっての不幸を防ぐことができる。
試験をなくしたり、カンニングや替え玉を奨励したりして
“合格者”を大量生産するのは簡単だが意味がないし
それをしてしまうと後々不幸なことになる。
だから禁止。

大人が子どものためにルールを整備し、
大人が子どものために運営しているうちは、それでよかった。

ところが、さまざまな変化を経て
大人が大人のためにルールを整備し、
大人のために運営し、子どもはそれに利用されるようになった。

入学試験を目安から目標に変えた。
「これに通ることで、高い学力が証明できますよ」
「通りたいでしょう?」と、“合格”をチラつかせて
一人でも多くの人が受験するような仕掛けを開発した。
入学試験は一大ビジネスに成長した。
試験を運営する会社や予備校など業者の立場が強くなり、
学校は教育より経営を優先するようになった。
教育は儲かる商売になった。

学業より学歴を重視するよう学生を誘導した。
試験に合格した後、何をするかはよくわからない。
そんなことを考えている暇があったら、受験のテクニックを磨いて
裏技の一つでも覚えたほうが得策。
そういうことが流行りだした。

実際、裏技でも偶然でもなんでも、試験さえ通ってしまえばこっちのもの。
入学後に困ることなんて何もない。
「入ったはいいが、苦しい」「入れたはいいが、邪魔」という
不幸はもう起きないのだ。

入学試験そのものも、学生を囲い込むことも
大人たちの利益につながる。
社会もこれに協力し、卒業証書さえあれば、
専攻や経験や知識や能力に関わらず就職できるシステムを作った。

こうして“学歴発行所”となった教育の場は形骸化していったが
大人たちの利害が絡むことになった以上、
いまさら後へは引けないので、そのまま突き進んだ。

やがて入学試験に絶対的な権威がなくなり
学校と受験生との間の力関係が崩れると
今度は入る側の権利が要求されるようになってきた。
「入れてあげなきゃかわいそう」と感情論を持ち出されたり
「そちらだってお困りになるでしょう?」と足元を見られたり
「入れなかったらタダじゃ置かない。つべこべ言わずに入れろ」
と脅されたりして
とりあえず入れておけばいっか、ってことになった。
入りたいと言う人を受け入れていれば、誰も悪者にならずに済むしね。

ところが、それもそろそろ限界。

そもそも入口での審査は何のためにあったのか。
「入ったはいいが、苦しい」「入れたはいいが、邪魔」が起きないなんて
それ自体がおかしいんじゃないの?
入りたいからって入れちゃうのこそ、不幸なんじゃないの?
みんな、もうそれに気づいている。
自らの地盤を揺るがすようなことは怖くてできないから
気づいていないフリをしているが、
そのフリも、もう長くはしていられないと気づいている。

さぁ、どうしたらいいかな。

大人たちは180度方向転換して
「不合格」や「落第」を増やそうと言い出した。
それは手っ取り早いけどダメだろうね。
挫折や烙印を噛みしめて耐えられるほど、現代日本人は強くない。
もっと丁寧で柔らかい、新しい方法を作らなきゃ。

たとえば最近若い人たちの間で増えてきている
「入れるけど、入らない」という選択などは、一つの例かもしれない。
学校でも企業でも、入るだけの実力を備えつつ、あえて入らない。
あるいは一旦は入ってもすぐに出て、“無所属”で活動する。
そういう人たちがカッコよく活躍するのに憧れて、
所属にこだわる人がダサく感じられるようになったら
割と短期間のうちに、あっさりいろんなことが変わる気がする。

ま、周りが追いつく頃には
“無所属”の人たちはとっくに次のステージにいるんだけどさ。
先駆者ってのはそういうもんだから、いいの。

そうやって受験生や学生が減ることで
一時的に教育の場は衰退したように見えるかもしれない。
でも大丈夫。
教育はそんなにヤワじゃない。
「売れる・売れない」でしか物事を考えられない人たちには
想像もできない方法で、
教育は必ず復活する。

若者たちが自分たちでルールを作り、自分たちのために動く。
そのおかげで大人たちは目を覚ます。
大人が殺しかけた教育を、若者が救出し、再生させる。

いま起きている問題のほとんどは、
もう大人たちには解決できない。
大人が大人のやり方で作戦を考えて、計画通りに動かして、
若い世代が巻き添えを食うという時代は終わった。
大人は一歩引いて、前線から外れ、
これからの時代を担う人たちに、全面的に任せようよ。

新しい時代の大人は本質的な問題点を抽出して提示し、
「ねぇ、どうしたらいいかなぁ?」と若い世代に投げかけて
あとは若いヤツらがどうするか、黙って見守る。
「ほっほー、そう来たか」とおもしろがって観察し
「なるほどねぇ」と感心し、「いいじゃん、やってみなよ」とけしかける。
そういうことが役目になっていくんじゃないかな。

少なくとも、今みたいに大人が慌てふためいて
「我々が何とかしなきゃ」なんて言いながら
目先のことに翻弄されて二転三転…なんて
みっともない姿をさらすのは早く止めたほうがいい。

若いヤツらは、きっとやるよ。
見てなって。
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by emi_blog | 2013-04-12 00:56 | 教育 | Comments(0)  

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