コミュニケーション・ポイント

コミュニケーションってのは
共同作業なんでね。



たとえば私とあなたとの間で
“良いコミュニケーション”が成立したとして。
それは私一人の手柄でも
あなた一人の手柄でもない。

同様に、“良いコミュニケーション”が成立しなくても
それは私一人のせいでもなく
あなた一人のせいでもない。

「お前の説明が悪い」「理解の仕方が悪い」と
相手を責めてみたり
「私の言い方がよくなかった」「誤解してた」と
反省したりして一件落着することもあるが
たぶん、どっちか一方だけが悪いなんてことはあり得ない。

コミュニケーションは共同作業。
私とあなたが力をあわせて、
その合計が足りたか足りてないかによって
コミュニケーションはうまくいったり、いかなかったりする。
この持ち点のことを『コミュニケーション・ポイント(CP)』と名付けよう。

仮に“良いコミュニケーション”の成立する合格ラインが
10CPだとして。
それぞれの参加者の負担するCPは
「10÷参加者数」のようにワリカンでなくてよい。

大人がまだ言葉を覚えたばかりの子どもと話す場合、
大人が8-9CPを負担してやるというつもりで
「お名前は?」「何歳?」「好きな食べ物は?」
「それなぁに?」「見せて」「へぇ、すごいねぇ!」
…などの働きかけをしたり、
眠そうだな、疲れているな、という様子を察知して
それに合った対応をしてやると、
“良いコミュニケーション”が成立する可能性が高まる。

外国人を相手にする母語話者の場合は
相手が大人なら大人として扱わなければならないので
もっと繊細なさじ加減が必要になるが
母語話者側が少なくとも6CP分ぐらいを担う用意をしておくと
外国人側は比較的快適にコミュニケーションに参加できる。
もちろん、外国人といえども言語能力や文化的知識が十分にあれば
外国人側が主導権を握り、高CPを稼いでくれるので
母語話者側は手を抜いていても大丈夫。
用意していた6CPのうち3CPだけ使う、みたいなことになる。

自分の経験や得意なことを話す場面では
話し手が7-8CP請け負うことが多い。
その間、聞き手は2-3CPに抑えておく。
話し手と聞き手の役目が入れ替われば、負担するCPも変わる。

このように、コミュニケーションは相手や話題や立場や役割など、
さまざまな要素が関連しあって
それぞれの参加者の負担分が常に変動する。

書いたり話したり、発信が得意な人は
自他共にコミュニケーション能力が高いと思っていることが多いが
これは勘違いである。

話したり仕切ったりするのが得意な人は、
その能力を発揮するべき場では存分に発揮すればよい。
が、いつでもどこでも、そうしていれば良いわけではない。
コミュニケーションにおいて、分担を許さず、
10CPのすべてを一人で占拠しようとすることは
すなわち、他の参加者がCPを提供する機会を奪うことになる。
時にはFloor を譲り、相手のCPをうまく引き出すことができなければ
コミュニケーション能力が高いとは言えない。
英語教育において間違いが起きやすいのは
「ペラペラしゃべる=コミュニケーション能力が高い」という
誤った前提でゴールを設定しているせいである。

私は、すべてのCPを一人が占めるのは不可能だと思っている。
たとえばビデオに収録済みの講義のような、
あるいは発信者が好き勝手に書いているこのブログのような、
普通は一方的と思われるタイプのコミュニケーションでさえ
受け取り側を意識して、聞き手や読者にCPを提供してもらうための
余地を残すべきだと思う。
一人で出せるCPは絶対に10に満たないと考えれば
“良いコミュニケーション”の合格ラインに達するために
他の参加者からの貢献は不可欠だということになる。

「ペラペラしゃべる=コミュニケーション能力が高い」と
表裏一体の勘違いとして
寡黙な人はコミュニケーション能力が低いと思われがちである。
とんでもない。
私は『聞く』という行為こそ、合計CPの鍵だと思う。
いわゆる『聞き上手』という人は、
聞き手として高いCPを負担することができるので
話す側がさほどCPを提供できないような場合には
その不足分をカバーして
結果的に“良いコミュニケーション”に仕上げてくれるのだ。

つまり、コミュニケーション能力の高い人とは、場面に応じて
「いま、自分には何CP貢献することが求められているか」を
的確に読み取り、必要なCPを過不足なく、
適切なタイミングで提供することができる人のことだろう。

CPのおもしろいところは、
持っているコミュニケーション能力そのものの話ではなく、
いわば“気前の良さ”のような、
持っている能力をどれだけ提供できるかにかかっているという点。

たとえ一人一人の持つコミュニケーション能力が低くても
各参加者が持てるCPを積極的に提供しあえば合計CPは高くなる。
話す人聞く人ともに、参加者としての自覚と協力する姿勢が大事。
年齢や言語や文化に大きな差があったり
初対面など、共通認識が確認できていないような場面で、
失敗するかと思いきや意外とうまくコミュニケーションできたりするのは
参加者の中に「お互いの不足を補おう」という意識が働いて
CPを多めに提供することができているためだろう。

逆に、慣れ親しんだ間柄ではCPの出し惜しみをしあって
“良いコミュニケーション”が成立しにくくなることがある。
「言った」「言わない」、「聞いてない」、「言わなくてもわかるでしょ」、
「何回言わせるんだ」、「どうせ言ったって無駄」、「何を今さら」など。
これらをCP的に翻訳すれば
「自分はCPを出すつもりはないが、その分を補わないお前が悪い」
ということだ。
お互いに出さないなら、当然、合計CPは上がらない。

もちろん人間同士には相性というものがあって
誰とでも仲良しになるのは不可能だし、そんな必要もない。
また、コミュニケーションの良し悪しというのも
定義できるものではない。
“良いコミュニケーション”に「“ ”」を付けているのはそのためだ。

でも、もしコミュニケーションに不満があるなら
CPについて、ちょっと考えてみるといいかもしれない。
「こいつ、コミュニケーション下手だなぁ」とイライラしたり、
「あの人と会うとなぜか疲れちゃうなぁ」と不思議に思ったり、
「もっとわかってほしい」と望んだり、
「どうして伝わらないんだろう」とモヤモヤしたり。
そういう場面では、まず間違いなく、合計CPが足りてない。

そして、合計CPを上げたいと思うなら、方法は1つ。
自分が多めにCPを提供する。
まず与えること。
コミュニケーションは愛情表現ですから。

自分がCPの出し惜しみをして、相手にだけ求めているようなら
自分がCPを提供するチャンスを増やすようにする。
自分がCPを出しすぎて独占状態になっているようなら
少し控えて相手からCPを引き出せるよう配慮する。
言葉遣い、相槌や表情、声のトーンもCPに影響するよ。

適切にCPを提供するということは
相手のCP提供量を変更しやすいように場を整えることにもなる。
整え方は千差万別なので、そこが難しいところだが、
穏やかな雰囲気を作り、静かに待ったり
噛み砕いて丁寧に説明したり
相手に「そろそろ譲って」というシグナルをうまく出したり、
押したり引いたり、臨機応変にできるといいよね。

そうやって実践を積んでいると
いつの間にか、コミュニケーション能力も高くなる、という
ありがたいオマケがついてくる。
コミュニケーション能力が高くなれば、相手や話題や立場や役割を選ばず、
広くコミュニケーションに参加できるようになるから
さらにコミュニケーション能力を高める機会が得られる。
お得ぅ。
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by emi_blog | 2013-05-05 00:32 | その他 | Comments(0)  

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