見えない言語

日本人の目に
英語はあんまり見えてないんだろうね。



おそらく認知科学、心理言語学の分野あたりで
誰かが研究してんじゃないかと思うんだけどさ。
してないならしてほしいと思うんだけどさ。

日本のテレビを見ていると
「この場面で、なぜ?」という英語の曲が
BGMに使われていることがよくある。
あったかい家族の映像に
アメリカでヒットした若い人気歌手の
「別れた男に用はない」的な歌を載せてたり、とかね。

歌ナシのインストルメンタルなら解釈は自由だが
歌を流されると、歌詞の意味に引っぱられてしまい、
私には映像からの情報が全然入ってこない。
この映像を作った人にとって
英語の歌はインストルメンタルと同じくメロディのみの音楽で、
歌詞は存在していないんだろう。

英語音声のニュースやインタビューなどに
日本語音声を載せているものも厄介。
翻訳なら字幕か完全吹き替えにしてくれれば良いのだが
元の英語が音量控えめでうっすら聞こえてきて
その上に日本語をかぶせられると
同じ内容が二重になって、
しかもタイミング的にズレて聞こえてくるので、うるさい。
同時通訳者でもない一般視聴者には邪魔だよ。
この映像を作った人にとって
日本語または英語、どちらかの言語は存在していないんだろう。

知らない言語は聞こえてこない。
同様に、知らない言語は見えない。

あるデザインについて、スペースが小さいため
アルファベットのみの表記を提案したら
やっぱり日本語も併記した方が良いのでは?という話になった。
表記はアルファベットといってもURLやメールアドレスなど
日本語にしようがないものと、あとはローマ字程度のこと。
イマドキの“グローバル”な日本人が理解に苦しむような内容ではない。

アルファベットのみで、特に不都合はないと思うと伝えつつ、
念のため、日本語がないとどんな印象か、聞いてみた。
「海外がメインなんだな、と感じる」。
ほぅ。
日本を含む『世界』ではなく、日本を除外した『海外』。
それに伴って、疎外感、嫌悪感、憧れ、など
それぞれが『海外』に対して抱く感情が沸き立つ。
ローマ字程度のアルファベットでも、そんな効果が出ちゃうのか。

たとえば日英併記にしたとして
それを見たほとんどの人にとっては片方が情報源で
もう片方は見えないか、見えていたとしてもBGM程度。
なんなら、ちょっとしたおしゃれアイテムなので
隙あらば付けたい、ぐらいのことだろう。
あいにく私には日英の両方が言語であり情報源なので
同じ情報が二重に存在していることがうるさく感じられる。

アルファベットの文字列は、2013年のこの期に及んで
日本人には、まだ言語として見えていない。
数百年前、日本国民のほとんどにとって
模様でしかなかったアルファベットは
その後、教育機関など各所や個人の努力によって、
ようやくその存在が文字として認識できるレベルまで来た。
そして、それがなんとなくカッコよく見えるので
中身はわからなくても、どこにでもベタベタ貼るようになった。

しかしその文字はまだ“飾り”であって、
言語として認知されてはいないのだ。
だから街のあちこちに、目がテンになっちゃう不思議な文字列が
あんなにも堂々と貼り出されているのだ。
わからないからこそ、大胆にどこにでも貼れる。
そこにはほぼもれなく日本語が併記してあり、
情報源としての役目はそちらが担っている。
飾り模様であるアルファベットに意味はなく、
日本語の添え物として決して邪魔にならない。

この“飾り”を言語と認識するようになることと
言語教育がどう関連するかはわからない。
ただ一つわかるのは、日本の英語教育は
日本人が思っているほど進んでいない、ということだけ。


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by emi_blog | 2013-07-23 06:01 | 英語  

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