Love

愛について。



年下の友人が
「子どもとか動物とか、愛情を注ぐ対象がほしい」
と言った。
愛情に飢え、自分に愛情を注いでくれる人を求めて
彷徨っている人が多い中、なんて健全な欲求だろうかと思った。

愛情は注ぐ対象がいると深くなっていく。
注げば注ぐほど、愛すれば愛するほど、
自分でも驚くほどの愛情が湧き出す。
その対象がいなければ
溢れるほどの愛を経験することはできない。
そのことを、彼女はもう知っているのかなと思った。

"The love you have for your children is like no other feeling in the world.
And until you have children, you don't know what it's like." (参照

自分の子を持って初めて、人は本当の愛を知る。
それは多くの人にとって真実である反面、
例外もたくさんある。

愛情をもらいたくて、もらえなくて、
もらった愛情を実感することができなくて、
常に愛情に飢えているような状態でも
人は親になることがある。
子を持てば自動的に愛を知ることができるような気がして
すがるようにして子を持ったにも関わらず、
あいかわらず愛情飢餓状態から抜け出せなくて、
満たされないまま、絶望や迷いの淵に陥る人もいる。

一方で、その対象と出会う前から
愛を与えようと待ち構えている人もいる。
将来、その人が子を持つとは限らない。
たとえ子を持つことがなくても、その人の愛は枯れない。
対象が現れ次第、そこに愛を注ぐだけ。

「愛というのは西洋の概念なので、
日本人は持ち合わせないんだ」と言う人もいる。
「無条件の愛なんて、宗教でしかない」と言う人もいる。
「胡散臭い」「バカバカしい」と言う人もいる。
求めても得られなければ、信じないでおく。
愛の存在を否定することで自らの身を守っているのだろう。
臆病で気の毒だとは思うけど、責めることはできない。

愛を信じ、受け取り、与えられるようになるためには、
いくつかのステップがある。
たっぷりと愛情をもらう経験をすること。
愛情を注ぐ対象を得ること。
愛情を積極的に実感すること。
そのために勇気を出し、行動すること。
子を持って親になると、これらが一時にクリアされることが多いが
上述のとおり、子を持つことは必要条件でも十分条件でもない。

そして運よく場が整い、堂々と遠慮なく愛を注いでいると
人は自分が"so much better" になり"so much kinder" になり、
自分の人生が"so much more purposeful" になっているのに気づく。
自分の注いだ愛のおかげで、自分は幸せなのだと気づく。

うん、だから「愛は祈りのようだね」なんだね。
久しぶりに、iichikoのDVDを観よう。


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by emi_blog | 2013-08-01 04:29 | その他 | Comments(0)  

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