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Voiceless

自分のVoice を持たないまま
ただ「発信」の量を増やすこと、について。



時代の変化が日本文化にも影響して
『沈黙は金』というようなことは、あまり言われなくなった。
人と会って話すにせよ、
SNSなどで文字や画像をアップするにせよ、
現代日本人は「発信する」ということを
割とせっせとやるようになった。

それはいいんだけど。
中身のないことが多すぎる。

たとえばAさんが
「XXということが起きています。これって問題ですよね?」
と持ちかける。
Bさん「確かに。まずいですね」
Cさん「わかります。うちでもXXは起きています」
Dさん「うちなんてYYまで起きています」
Eさん「そもそも何故XXが起きてしまったんでしょうか」
Aさん「いやぁ、難しいですね」
Bさん「本当に。解決には時間がかかるでしょうね」
Cさん「困ったもんです」
Dさん「どこも大変ですね」
…で、時間切れで解散、みたいな。

あるいは
Fさん「外国ではOOという方法で解決している例があります」
Gさん「歴史的にはPPという例もあります」
Hさん「こういう本も出ています」
Iさん「ここにQQというデータが公開されています」
…ってな感じで、延々と参考資料が蓄積されていく、みたいな。

物理的には何人かの人間がそこにいて
いくつもの「発信」がなされているが
この会話には意味がない。
してもしなくてもいい会話。
しかし現実には、これを「時間の無駄だ」と非難する人は少ない。
せめて参加者が「意味のないやり取りだったけど
暇つぶしと顔つなぎにはなった」ぐらいの
謙虚で冷静な評価をしてくれていれば救いようもあるが、
参加者は“議論”でもしたような満足感に浸っちゃってたり、
“客観的”な自分にうっとりしてたりする。
相手の時間を無駄にし、うんざりさせたかもしれないなんて、
思いやれるわけがない。
ひゃー。

英会話も同じ。
英語で会話をするとき、黙ってしまう日本人は確実に減った。
でも、発信している内容には意味がない。
かつての沈黙を埋めているのは
"How about you?" とか"Oh really?" とかいう
丸暗記した便利なフレーズ。
そうやって相手にFloor (発言権)を渡し、聞いているフリをしていれば
間が持つ、というテクニックは身についた。
が、会話に参加している者としての責任感はないから
相手が発言を終えてFloor が自分に返ってくると困る。
"Why do you think so?"などでつないで
相手がだんだんイライラしてきても構わず
ひたすら相手にFloor を返し続けるツワモノもいるが、
たいていは"... good" とかいうよくわからない返事をするか、
笑って誤魔化すかして、なんとなく会話を終わらせる。

と、こういうことを書くと
「みんながそうだとは言えないと思います」
「身近な事例を一般化しすぎ」
「そうでないケースを知ってます」
「この世に意味のないことなんて一つもない」
とか言う人が必ず出てくる。

これらの「発信」は当たり前で、当たり障りがなく、リスクがない。
おもしろみもない。
まぁ、とっかかりとしてはそれでもいいよ。
聞きたいのはその後。
それで、あなたはどう考えるの。
あなたのVoice を聞かせてほしい。
と、そういうことを求めると、さーっと逃げていっちゃう。

ひょっとしたら「沈黙」から「発言」へと移行する過渡期には
このような「ただ発信する」という現象が起きるのかもしれない。
だとすれば、仕方がないし、
しばらくすれば「発信」が進化して
少しずつ「発言」に変わっていくのかもしれない。
そういう希望を胸に
「意味のないことなら言わないほうがマシ」とは
言わないでおこう。

いいよ、何でも言ってごらん。
ただし、その言いっぱなしの意味のない「発信」を“意見”と、
「発信」をただ投げつけ合うことを“議論”と勘違いするのは
みっともないから、癖になる前にやめといた方がいいよ。

万人ウケしないのも、叩かれるのも、怖いかもしれない。
でも、無難には魅力がないんだよ。
魅力のない人や国にいつまでも付き合っていられるほど
世界は、世間は、寛大じゃないと思うよ。

by emi_blog | 2013-11-24 12:38 | 文化 | Comments(0)  

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