オールイングリッシュ

英語を教える際に
学習者の母語を使うことについて。



コーチ研修でクラスメートになった
ポーランド在住、ポーランド人のI、
ハンガリー在住、ハンガリー人のZ、
コスタリカ在住、コスタリカ人のMは
各国で英語を外国語として教えている。
彼らの英語はいずれもほぼネイティブレベルだが
授業で母語を使うのは当たり前のことだと言う。
いずれも生徒のほとんどが母国人なので
共通言語としてお互いの母語を使わない手はない。

言語コーチングの第一人者Rは
ドイツ在住イギリス人で英語母語話者だが
スペイン語、イタリア語を話し、
ドイツ語とフランス語は習得中、
さらにカタロニア語、アラビア語、ロシア語の基礎知識がある。
できるだけ自分の生徒の母語を知っておきたいという考えだ。

昨日はアメリカ在住アメリカ人でESLを教えるKとLに会った。
生徒の母語がバラバラという環境では
英語を教えるのに使える言語が英語しかない。
「この子の母語を私が知っていたら」と思うことが
たびたびあると言う。
Kは最近、生徒全員がスペイン語母語話者というクラスを受け持ち、
自身もスペイン語ができるので、スペイン語で英語を教えているが
「やりたいことが、即座にできる気持ちよさ」を痛感しているようだった。

第二言語(例:日本人にとっての英語)を教えるときに
学習者の第一言語を使うことにはさまざまな効果がある。
文法や語彙を学習者の母語で説明したり、
母語の特徴との対比で第二言語を教えることにより、
学習者の中ですでに蓄積されている母語の知識と
新たにインプットされた第二言語の知識が結合し、
情報がきちんと整理され、しっかり定着するのだ。

私はアメリカで、英語で日本語を教えたり、
いろんな国の人が一緒になるESLで英語を教えたり、
アメリカの大学院生を相手に実習や理論を教えたことがあるので
日本人に英語を教えるときにも英語を使うことはできる。
でもやんない。
絶対やんない。
だって、バカバカしいじゃん。

私が日本人を相手に英語を教えるにあたって
どうしてお互いの母語を封印しなくちゃいけないの?
授業という時間的な制約のある場で、
その日に学習するアジェンダやカリキュラムがある中で、
どうしてそんな非効率なことをしなくちゃならないの?
教える側に学習者の学習を促進する気があるなら、
学習者が吸収しやすいように余計な情報はできるだけ省いて、
学習項目だけを簡潔にぎゅっとまとめて
しっかり伝えるのが仕事じゃないの?

いわゆる目標言語の“シャワー”を浴びることに
利点がないとは思わない。
でもそれは授業や教室という枠の外でやること。
教育の場では、正規品の種を蒔き、きちんと管理をし、
いちばん大事な軸/幹/背骨をしっかり育てる。
限られた時間内ではそれ以上のことをやる余裕はないはず。

英語で英語を教えることにも利点はある。
でもそれは日本の学校教育レベルの英語では無理だよ。
奇しくも文科省は「高校卒業時に英検準2~2級」を目標にしてたけど、
とりあえず全員がそのくらいになってからならアリかもしれない。

上に挙げた私の友人たちは、
全員、英語で英語を教えることが問題なくできる人たち。
その人たちが、英語で英語を教えることよりも、
できるだけ学習者の母語を取り入れることを目指し
努力しているというのに、
日本の英語教育はオールイングリッシュを目指しているらしいよね。
先生たちの反応は
「別に構わないけど、意味がないなぁ」じゃなくて
「そりゃ大変だ。自分の英語で大丈夫かな?」なんだってね。
その状態で教壇に立ったら、迷惑するのは生徒でしょう?
一部の英語が得意な先生は、
教壇で流暢な英語を話す自分に酔いしれて
生徒がポカンとしててもドン引きしてても
お構いなしになっちゃったりするんじゃないの?

英語教育が専門でない人のために、いちおう言っておくと
「オールイングリッシュ」は日本語だよ。
こういうカタカナ語を平気で使える言語感覚で
“オールイングリッシュ”をやろうって言われても
苦笑いせざるを得ない。

日本人の英語のこと、ちょっとは真面目に考えてよね。


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子どもと英語 (2012/5/1)
『「英語が使える日本人」の育成のための行動計画』 (2012/7/23)
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by emi_blog | 2014-01-10 21:58 | 英語  

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