Playful Mind

「知っているうれしさ」と
「知らないうれしさ」について考え中。



いろんな表現があると思うけど、
あえて、「うれしさ」で行ってみよう。

「他の人が知らないことを自分が知っている」というとき、
うれしいと感じる人は多い。

子どもの英語教室をやっていた頃、
子どもたちは教室へ様々なニュースを持ち込んできた。
もちろん自分のこと(例:歯が抜けた)や
家族のこと(例:弟が熱を出した)もあったが、
特に学校のこと(例:家庭訪問がある)、
団地のこと(例:火事があった)、地域のこと(例:お祭りがある)など、
子どもたちの世界で知らない人がいないような話題の場合、
車で1時間かけて通勤していたヨソモノの私は
子どもたちにとって格好のターゲットだった。
子どもたちは「ねー知ってる?」と切り出し、
私が知らないと言うと、それはそれはうれしそうに
「えー知らないの?」
「教えてあげよっか」となって
先を争うようにして口々に説明を始める。
2クラス目以降も私はとぼけて知らないフリをするので
クラスが入れ替わるたびに同じ話題の説明を一から聞く。
幼稚園児バージョン、小学生バージョン、中学生バージョンと
夕方に近づくにつれ、説明の精度が高まる。
おかげで教室周辺地域についてかなりの情報通になった。

大人だって同じ。
他の人が知らないことを教えてあげるのはうれしい。
だから昔話もするし、自慢話もするし、
ニュース速報のリツイートも急いでする。
「えっ、そうなんですか」なんて驚かれるとますますうれしい。

一方で、「他の人が知っていて、自分が知らない」というとき、
うれしさを感じる人もいる。

年長者の話を聞く若者が
「生まれる前のことなので、知りません」と言うとき、
ゴシップやドラマ、流行などについて
「そういうのは見ないので、知りません」と言うとき、
都会に住む人が地方のローカルニュースについて
「こっちには伝わってきていないので、知りません」と言うとき、
外国に住む人が「母国のこと、知りません」と言うとき、
ある強さを持って堂々と言い放つことにより、
「知りません」と言う側にうれしさが伴う場合がある。
(※いろんな表現が可能ですが、「うれしさ」で通しています。)

ネットで検索すれば、数秒で見つかるような情報を集めもせず、
それを言ったら相手は気分を害し、
会話は止まり、場の空気が悪くなることを予感していても、
わざわざ「知りません」とピシャリと言うことを選ぶわけだから、
やっぱりそこにはたまらない「うれしさ」があるのだろう。
(※「うれしさ」へのご協力をよろしくお願いいたします。)

あるいは「私が知らないとは知らなかったでしょ」という意味で
これも「他の人が知らないことを自分が知っているうれしさ」なのかもね。
だとすると「知ってるうれしさ」同士の戦いかぁ。

おもしろいものだなと思う。

“なんでもかんでも英語教育に絡める病”の私としては、
このことと英語教育はどういう関係だろうと考える。

まずは教育全般において、
この手の「うれしさ」を求める傾向の強い人(=教えたがり)は
教え育てる仕事には向いてないんだけど
それは置いといて。

英語について、他の人より知識が多かったり、
英語を使った経験が長かったり、ペラペラしゃべれたりすると
「知っているうれしさ」が発生する。
「それ、英語ではこうだよ」
「そんなことも知らないの」と言いたくなる。

ところが逆の立場の場合、「知らないうれしさ」はあんまりなさそう。
知らない場合は「悔しさ」とか「恥ずかしさ」になっちゃうだろうね。

英語に対して、「知らないうれしさ」が発生するようになったら
どうなるかな。
「英語、使わないから知りません」
「私の人生に英語は要らないんです」と
きっぱり、うれしさを持って言う人が増えたら、どうかな。

それはそれで、アリだと思う。
いいんじゃないの、と思う。
とりあえず、不安を煽る型のコンプレックス商法的な英会話屋さんは
いなくなるでしょ。
英語が下手なおかげで免除されていることは免除されなくなるし、
英語の代わりにできることを本気でやらなきゃいけなくなるよね。
結構なことじゃないですか。

「英語を知らないうれしさ」を発生させられる地域は
特に先進国にはほとんど残されていない。
できるとしたら、日本ぐらいじゃない?
アメリカにナイショで、ちょっとやってみない?
「日本、英語やめたってよ」。
ふふふ。


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by emi_blog | 2014-02-01 06:09 | その他  

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