動じないということ

あえてじっと耐え、
動かずにいるということについて。



インターネットが身近にあって
電話などの端末を肌身離さず持ち歩き、
テレビや新聞も、いつでも手に入り、
交通手段も通信手段も常時スタンバイされているような社会で
私たちは多くのものを得て、いくつかのものを失った。

失ったもののうちの一つに
「動じない」ということがあると思う。
たとえば水や食料など、最低限の供給が保たれていても、
情報など、いつでも当たり前に手に入っていたものを断たれると
私たちは途端にソワソワして、じっとしていられない。

3年前、日本が災害に見舞われたとき、
私たちは多くのことを学ぶチャンスを与えられた。
美しいこともありがたいこともたくさんあった。
そうでないこともたくさんあった。

不安を抑えきれず、情報をかき集めては拡散し、
ガラクタもデマも誤報も、とにかく闇雲に流す人がいた。
それらの情報によって人々の不安が解消されることは稀で、
多くはかえって不安を煽ることになった。

行き場のない怒りや苛立ちを
通りすがりの人にぶちまける人もいた。
当たった方はもちろん気の毒だが、
当てた方も辛かっただろうと思う。
非常時にこそ現れる自分の本当の姿を
自ら見てしまうし、他人に見せてしまうわけだから。

判断ができず、寄りかかる先を求めてウロウロしたり、
感情に任せて動きすぎ、邪魔になっている人もいた。
善意のもたらす迷惑ほど厄介なものはない。
周りがワラワラと動き回る中で、それに振り回されず、
落ち着いて冷静な判断ができる人はとても少ないのだと気づいた。

能力や道具がないから動くことができないのではなく、
動きたくない本心を隠すための口実でもなく、
「動くべきではないと判断し、あえて動かないでいること」が
できるかどうか。

たとえば今、あなたの大切な人が戦地で戦っているとして。
その戦況をある程度は知りつつも深追いをせず、
心静かに、じっと待つことはできますか。
様々な手段や資金を使えば、近くまで行ける可能性があるとしても、
それをするとどうなるかを考え、今はそれをすべきでないと判断し、
踏みとどまる勇気がありますか。
大切な人の無事をこの目で確かめたいと逸る思いを
ぐっと堪えることはできますか。
「冷たい」「よく平気でいられるね」と言われても、
誤解されても、罵倒されても、
黙っていることはできますか。

誰にアピールすることもなく、ただ祈り続けることはできますか。
どんなときも、他人への気遣いを忘れずにいられますか。
感謝、できますか。

私たちに与えられた、成長のチャンスを生かすために。


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by emi_blog | 2014-03-09 00:07 | その他 | Comments(0)  

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