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お騒がせ

“お騒がせ”後の対応の、日米文化比較。



先月末、我が街で起きたある“事件”が意外な結末を迎えた。
人種問題に警察に大統領選挙まで絡んで
全国的な大ニュースになっている。
「Racial Hoax」あたりのキーワードで検索すれば
各メディアによる報道がいくらでも見つかる。

まぁ、それはそれとして。
私の興味はこの事態を受けての学長の声明。

学長は“事件”当日、出張先から急遽地元へ戻り、
翌日、最初の声明を発表。
「diversity and inclusion(多様性とそれを受け入れること)」
という大学のポリシーを軸に、自身の経験を交えて
見解を表明した。
偶然にもMartin Luther King Jr. 祝賀イベントとタイミングが重なり、
人種や暴力について改めて考えよう、という展開になった。

その後も警察と連携し、新しい情報を交えて
学長が声明を出す、というのが2度。
大学全体としては「Race, Diversity and Inclusion」をテーマに
学長を交えた大規模な対話集会も催された。

…からの、大どんでん返し。

これ、日本だったら、エライ人が3人並んで
「お騒がせして大変申し訳ありませんでした」と
深々とお辞儀して見せる場面だろう。
テレビ画面に「フラッシュの点滅にご注意ください」って出る、
アレね。
学長は号泣してもおかしくないのかもしれない。
なにはともあれ、とにもかくにも、謝りたおすでしょう。
そういえば日本には「謝罪師」っていう職業が
あるとかないとか(参照)。

さて、ここはアメリカ。
どうすっかね。
“事件”の結末を受けて学長が出した
最終声明の構成を追ってみよう。

まずは事の顛末について。
「あの件について、こういう結果になりました。」
コミュニティ内の感情について。
「みなさんも、私も、関わった人すべて、大変でしたね。」
続いて、自分の出した声明についての振り返り。
この部分は1つ1つが丁寧。
「最初から一貫してこう主張してきました。」
「こう明言しましたし、こうも言いました。」
それに対する釈明。
「“事件”当日に声明を出したことに意義がある。」
「情報が限られていた。」
「我が校の学生を信じていた。」
「声明は学生を思う気持ちに基づいていた。」
そして、現状。
「警察の捜査は終了、あとは司法に委ねます。」
「多様性を認め、受け入れるという基本原則は変わりません。」
最後は賞賛。
「厳しい時期を乗り越えたこのコミュニティを誇りに思います。」

大きなテーブルを取材陣と一緒に囲んで、
学長はこれを淡々と話した。

うむ。
これがこの国の、こういう場面での典型だろう。
当然ながら、謝罪の言葉は1つもない。
学長は涙を浮かべたりもしない。

超念のため、いちおう書いておくが
「アメリカ人は謝らない」というのは都市伝説。
謝りますよ、普通に。
謝罪が必要な場面で謝らない人ってのは、
まぁどこの国でもいないわけじゃないだろうし、
アメリカに特に多いってことはないでしょ。
ただ、この場面で学長が謝るというのは
アメリカの感覚では受け入れにくいと思う。

それぞれの文化には、それぞれに合ったやり方がある。
どっちが良いとか悪いとかでも、優劣でもない。
それぞれのやり方を、それぞれがやればいい。

が、“国際”や“外交”や“グローバル”な文脈では
「それぞれでどうぞ」というわけにはいかない場面が多々ある。
たとえば今回のこの件で、学長が日本文化風に
「申ぉっし訳ございませんでしたぁぁっっ」みたいなことをやって
アメリカの聴衆をぽかんとさせるようなことも起こり得る。
逆に、このままの声明を日本の聴衆に向けて出せば
「謝らないとは何事か!」と怒る人が現れるだろう。

ま、だからどうだってこともないんだけどさ。
英語ができるぐらいですべてが丸く収まるほど
異文化交流は甘くないってことかしらね。


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おぉぉ、同じ日。

by emi_blog | 2016-02-27 20:45 | 文化 | Comments(0)  

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