続・異文化

ザ・アメリカン英語について。



どんな世界でもプロというのは
よほど意識しない限り
ついつい商売道具が気になってしまう。
インテリアデザイナーが旅先でホテルに泊まるとき
料理人がレストランで食事するとき
エンジニアが駅の改札を通るとき
「今日は休日なんだ、仕事は忘れよう」と
自分に言い聞かせることがあるだろう。

言語オタクは
自分や他人が話したり書いたりする場面で
ことばづかいを気にせずにはいられない。
英語教育的にはNon-nativenessというか
母語でない英語やガイジンの存在を
無視して通るのは難しい。

コミュニケーション学部に入って
異文化を感じる大きな要素は
学生たちのガイジンに対する反応が薄いこと。

おそらく外国語を勉強した経験も
外国へ行ったこともほとんどないのだろう。
それでいてガイジンの存在は珍しくもない。
要するに良くも悪くも興味がなさそう。

アメリカ人の中には
そういう“ザ・アメリカ人”な態度を
恥ずかしく思って批判する人も多いけど
そこはお国柄。
外国に頼らざるを得ない国とは事情が違うのだ。

コミュニケーションのクラスで使われる言語は
ネイティブによるネイティブのためのネイティブ英語。
私のようなガイジンがいようとも
速度・語彙などをコントロールすることもなければ
話題を選んだり噛み砕いて説明したりもしない。
容赦しないというか配慮がないというか。
もちろん悪気はないので
技術的な問題だろうと思う。

「え、アメリカ人じゃないの」。
「SUNYに4年ってことは学部から?高校はどこ?」。
「私も子どもの頃スピーチセラピーを受けてたから
言いたいことが言えない気持ちわかるよ」。

今の私だからいいけど
初心者だったら泣かされてるな、と思う。

こういうことは教育学部では体験できない。
"See the World"精神旺盛なセンセイ方は
両手を大きく広げてガイジンを迎え入れ
膝を折り目の高さを合わせて
ゆっくり話し、じっくり聞いてくれる。
私自身もガイジンには
つい世話を焼いてしまうところがある。

しかしそれは見方によっては
手加減をしているともいえる。
センセイならではの癖かもしれないが
相手の現状を瞬時に把握し
ちょうどよいところを見繕って与え
確実に伝えたくなってしまうのだ。

たとえばガイジンが母語なまりの発音で話したとき
教育では『メッセージを伝えようという意図を尊重し
あえていちいち訂正しない』けど
コミュニケーションでは『気にしない・気づかない』。
内容が理解され相手が反応するという点では同じだが
プロセスは大きく違う。

第二言語習得の観点からは方法論の違いだ。
温めの人工的な環境の中で丁寧に育てるか、
常に対等な自然環境に放り込んで鍛え上げるか。
養殖vs天然モノみたいなこと。
どちらの学習がより効果的だなどと
言うことはできるだろうか。
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by emi_blog | 2009-09-16 13:48 | 文化  

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