『思う』

きっとどこかで誰かが
とっくに分析済みだろうと思うけど。



文法とかじゃなくてね。
「音楽として成立してんだからいいじゃん」とか
そういうことでもなくてね。

"I believe myself"。
ここに日本語の『思う』という言葉が持つ
なかなか奥深い難しさが潜んでいると思うんだ。

以下、じっくりゆっくり読みたい人向けの解説。

日本語の『思う』は守備範囲が広い。
たとえば英語でそれに相当する語を探すと
'think'を筆頭に大量に検出される。
アンケートで見かける
(strongly) 'agree'/'disagree'も
「そう思う」「ややそう思う」「あまり思わない」と
すべて『思う』でまかなわれている。

逆に言うと
英語では『思う』が細分化されていて
それぞれに機能がきっちりある。
だから
「そりゃそうだ」「絶対だよ」「間違いない」
「マジだって」「じゃないかな」「なるほど」
「確かに」「たぶんね」「ありえない」などのあいづちを
"I+いろんな『思う』"で表現することができる。

日本語では『思う』があまりにも便利なため
たいていの思いは『思う』で事足りる。
暗黙のうちに了解されるからか
わざわざ『思う』と言う必要がないことも多い。

ということは『思う』の兄弟や親戚は
よほどのことがないと独立させてもらえないわけで
『想像する』『推察する』『評価する』『熟慮する』などは
「ただの『思う』とはちょいと違うぜ」というところを
アピールせざるを得ない。

『信じる』も独立組のひとつ。
『思う』と差別化を図るため
強さ・一途さ・健気さ・念などの特別感を与えられている。

さて、"I believe myself"。
前後の展開からして、日本語ネイティブの私には
'believe'では力不足と思えて仕方がない。
『信じる』に相当するほどの思い入れが感じられないのだ。
その後に『気がする』が続いているのはただの偶然かもしれないが
'believe'は『信じる』より『気がする』に近い『思う』。
せっかくここまで歌い上げてきたものが弱まってしまう。
もったいない。
ついでだけど"believe in myself"だったとしても
文脈からしてズレがありそうだ。

おそらく言わんとするところは
"I believe [everything begins with trusting] myself"ぐらいだろう。
長いとブサイクなので縮めた、ってことにしとく?
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by emi_blog | 2009-10-30 13:13 | ことば | Comments(0)  

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