Self-encouragement

夢や目標を宣言すること、
について。



私には夢も希望もないのだが
それはあいかわらず伝わりにくいらしい。
先日は「隠している」とまで言われてしまったが
ないものはないので
誤解をとくこともできなかった。

語れる夢があれば
少なくとも便利だろうと思う。
でもそれ以上の意味はない。
あってもなくても
やることはやるしやらないことはやらない。
私は夢に影響されることがないのだ。

格闘家は試合前に必ず「自分は勝つ」と言う。
「絶対に勝つ」とか
「負けるわけない」とかまで言っちゃう。
対戦である以上、両者が勝つことはありえない。
つまりどちらかはウソか間違いになるのに
それでも「勝ちます」と言う。
たぶん本気で。
夢の影響を受けやすい人なのだろうと思う。

ある人が
「宣言する人は自信がない」と言った。
「自信がある人はおおむね無口」、
「宣言することで自分を励ましているのだ」と。

ふぅむ。
自信がある人が無口かどうかは知らないが
無口だからって自信があることにはならない。
“言ってもしょうがないから言わない”という
夢ナシ型の可能性がある。
だって「勝ちます」と言ったって
負けるときは負けるし
「負けます」と言ったって
うっかり勝っちゃうこともあるもんね。

でもそういえば
私は事後に“慰める”ことはあっても
事前に“自分を励ます”ってあんまりしないかも。
「今日の注射は痛くないかも」と
騙されてお医者につれていかれるより
「痛いだろうな」と覚悟して痛い目にあって
その後で「えらかったね」と褒められたり
ごほうびをもらう方がうれしい。

それで思ったのだけど
“夢アリ型”の人は実際の結果が
夢を超えることはないんじゃないだろうか。
常に夢が最高点で結果はマックスでも同点。
ほとんどの場合、何%か割引されて
夢が一部かなったり、破れたりする。

だとすると“夢アリ型”の人から
夢を取ったら結果の出しようがない。
方向も定まらないので
はじめの一歩を踏み出すことさえできない。
この場合、夢は必要不可欠で死活問題で
“あったら便利”のレベルのものとはまったく別。
なんだか大変そうだ。

夢がなくても大丈夫でよかった。
でも「夢はないです」は
宣言するほどのことでもないしなぁ。
今後も「あなたの夢は?」と聞かれるたびに
困ったり誤解されたりするんだろう。
不便だな。
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by emi_blog | 2010-01-09 18:04 | その他  

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