子ども
子どもはなんでもお見通し。
全部ちゃーんとわかってる。
大人になった人に子ども時代の話を聞くと
子どもがいかに人間関係をよく見ているかがわかる。
たとえば家庭環境。
表面は取り繕っていたけど実は両親の夫婦仲が悪かった、
母が強すぎて父が萎縮していた、
ケンカはしていたけど仲が良いのはわかっていた、
親は長男に過度の期待をかけていた、
兄はプレッシャーにつぶされた、
姉はいい子でいようと頑張っていた、
長男で成功したからと次男にも同じことをして失敗した、
真ん中っ子は常にうまく立ち回っていた、
末っ子が育つ頃、親は経済的にも精神的にも余裕があった…
など、など、など。
幼稚園や小学校での人間模様もしっかり見ている。
もちろん後付けの知識など
「いま思えば」が混ざっているところはあるだろうけど
それを差し引いても
子どもが鋭い観察眼を持っていることは確か。
幸か不幸か、子どもは観察から得た情報を分析したり
冷静に報告したりするためのスキルを持っていないので
リアルタイムでは親など大人を相手に考えを発表することがない。
せいぜい癇癪を起こしたり泣いたりして
感情的に訴えるのみ。
だから大人はつい油断する。
指摘を受けない=気づかれていない、と思ってしまう。
「まだ小さいからわかっていない」などと思い違いをする。
ほっほっほ。
バレてます、バレてます。
大人の損得勘定も下心も手抜きも弱さも
強さや愛情が本物かどうかも
子どもはぜーんぶお見通し。
わかったうえで「しょーがねぇなぁ」と
ほとんどのところを飲んでくださっている。
どうにも我慢ができなくなる限界まで
なるべく許そうとがんばってくださっている。
しかも、心身の隅々まで活発に細胞分裂させなくちゃいけない
人間としていちばん忙しいときに。
頭上がらないよね。
大人にできることといえば
子どもの寛大さに感謝し
自らの不出来を正直に告白して
それを糧に成長してもらうよう、お願いすることぐらい。
「すみません。よろしくね。」
「しょーがねぇなぁ。」
全部ちゃーんとわかってる。
大人になった人に子ども時代の話を聞くと
子どもがいかに人間関係をよく見ているかがわかる。
たとえば家庭環境。
表面は取り繕っていたけど実は両親の夫婦仲が悪かった、
母が強すぎて父が萎縮していた、
ケンカはしていたけど仲が良いのはわかっていた、
親は長男に過度の期待をかけていた、
兄はプレッシャーにつぶされた、
姉はいい子でいようと頑張っていた、
長男で成功したからと次男にも同じことをして失敗した、
真ん中っ子は常にうまく立ち回っていた、
末っ子が育つ頃、親は経済的にも精神的にも余裕があった…
など、など、など。
幼稚園や小学校での人間模様もしっかり見ている。
もちろん後付けの知識など
「いま思えば」が混ざっているところはあるだろうけど
それを差し引いても
子どもが鋭い観察眼を持っていることは確か。
幸か不幸か、子どもは観察から得た情報を分析したり
冷静に報告したりするためのスキルを持っていないので
リアルタイムでは親など大人を相手に考えを発表することがない。
せいぜい癇癪を起こしたり泣いたりして
感情的に訴えるのみ。
だから大人はつい油断する。
指摘を受けない=気づかれていない、と思ってしまう。
「まだ小さいからわかっていない」などと思い違いをする。
ほっほっほ。
バレてます、バレてます。
大人の損得勘定も下心も手抜きも弱さも
強さや愛情が本物かどうかも
子どもはぜーんぶお見通し。
わかったうえで「しょーがねぇなぁ」と
ほとんどのところを飲んでくださっている。
どうにも我慢ができなくなる限界まで
なるべく許そうとがんばってくださっている。
しかも、心身の隅々まで活発に細胞分裂させなくちゃいけない
人間としていちばん忙しいときに。
頭上がらないよね。
大人にできることといえば
子どもの寛大さに感謝し
自らの不出来を正直に告白して
それを糧に成長してもらうよう、お願いすることぐらい。
「すみません。よろしくね。」
「しょーがねぇなぁ。」
by emi_blog | 2012-03-20 05:02 | その他 | Comments(0)