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考えすぎ

「考えすぎ」について、考える。



「考えすぎ」だと言われることがある。
私はそう言われても仕方のない状況を作りやすいし、
そう言いたくなるのはわかるし、
言ってもらうのはありがたいことでもあるので
「考えすぎ」にこめられた相手の気持ちを汲んで
いちおうそこで考えを進めないようにはするのだが、
実は「考えすぎ」という表現には賛成していない。

私ごときの考える行為に、やりすぎということなど
あるはずがない。
考える量に、多すぎるなんてことはあり得ない。
考えに、深すぎるなんてこともあり得ない。
私の考えは常に、絶対的に足りていない。

では、「考えすぎ」とは何か。
「考えすぎ」という語で検索して拾い読みしてみる。
「考えすぎ」を「心配」と混同しているもの(参照)や、
「考えすぎ」を「堂々巡り」と誤解しているもの(参照)、
「考えすぎ」と言いつつ、もっとよく考えることを推奨しているもの(参照
などが見つかる。
「考えるのはいいこと、考えすぎるのは苦悩の元」(参照
「考えるのはいいこと、考え過ぎは不幸の素」(参照
など、名言風のものもある。

言いたいことはわかる。
でも、「考えすぎ」という名前は不適切。

たとえば、同じところを行ったり来たりして考えが発展せず、
挙句の果てには何を考えようとしていたかわからなくなってしまうのは
考え方や考える方向性に問題がある。
きちんと考えられるよう、誰かに導いてもらうと良いだろう。
考えても考えても、考えが深まっていかないのは
そもそも考えるべき対象についての理解ができていない。
何を考えるべきか、噛み砕いて説明してもらうと良いだろう。
考えることで心配や不幸がふくらんでいくのは
すでに抱えている不安が邪魔になって、考える体制が整っていない。
不安を解消するのが先だろう。

つまり、どれもこれも「考える」にさえ至っていないのであって
「考えすぎ」には程遠い。
これを「考えすぎ」と呼び、それを理由に
「もう考えるのはやめましょう♪」だなんて、とんでもないことだと思う。

「考えすぎ」と言われたら、それは次の2つの
どちらかの意味だろう。
1. 考えるプロセスに誤りがある。
2. 内容に対して、考える能力が不足している。

1.の場合、どこかで情報の見落としがあったり、
現状把握や解釈にミスがあるのだが、それが見えていない。
疲労などによって視野が狭くなっていて、
自分では気づかないうちに考えが行き詰っている。
「考えすぎ」に秘められたメッセージは
「脳がオーバーヒートしているよ」。
そのやり方では、いくら頑張っても出口は見つからない。
まずは睡眠をとって脳を休めること。
そして、気分転換をしたり、人と話したりして
脳にとって働きやすい環境を整えてから、
読んだり聞いたりした情報をじっくり咀嚼して、
改めて、よく考える。

2. の場合、考えようとしている対象のレベルが高く、
実はついていけてないのに、そのことを認められず、
背伸びして、考えているフリをしている。
「考えすぎ」に秘められたメッセージは
「キミにはまだ無理だよ」。
残念ながら、門前払いなのだ。
仕方がないので、それについて考えるのはいったんあきらめる。
そして、いま持っている力を最大に発揮して考えられる別の物事について
一生懸命、考える。
全力で、誠意をもって、考える。
できるだけ深く、できるだけ多角的に考える。
いつか、再び門を叩いたときに
「今のキミなら考えられそうだ」と言ってもらえるように
日々、訓練を積み重ねて、考える力を養う。

通常、「視野が狭い」「力不足」などという指摘は不躾なので
たいていの人たちは、やんわり「考えすぎ」と言ってくれるのである。
その気持ちはやっぱりありがたい。
でも、「考えすぎ」という言葉を真に受けて、
自分の考えが十分であり、さらに超過しているなどと思い上がり、
考えることを放棄するのはまずい。

実はもう一つ、3つめのタイプとして
足を引っ張るための「考えすぎ」もあるようなのだが、
これはあまりにもくだらないので無視しておく。
そんな人が身近にいるのだとしたら、それはそれで
よく考えたほうがいい。

考えても、考えても、考えすぎることなんてない。
いくらでも、遠慮なく考えればいい。
疲れたら休めばいいけど
考えるのを止めるなんてことは、あり得ない。

by emi_blog | 2014-04-18 05:29 | その他 | Comments(0)  

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